

![]() ゲンスブールがミューズと崇めたジュリエット・グレコが美しい。 5月、Bunkamuraルシネマ、新宿バルト9他、全国で公開。 www.gainsbourg-movie.jp |
グレコが語るゲンスブール カネッティ(有名なレコード・プロデューサー)が確かな才能を持つ若い男の子だからと、私に会うことを勧めたのがゲンスブール。彼が誰かはわかっていた。彼はピアノを弾いていて、とても上手かった。まだ歌い始めてはいなかった。私は彼を家に招んで、とても美しいカットグラスに白ワインを注いだ。彼はひどく臆病そうで、手には汗をかいていた。グラスが滑って落ちて割れた。とても育ちがよく行儀のよい彼は、ひどく申し訳なさそうに青くなったり赤くなったりした。彼をリラックスさせるのに私はどうしたらよいのかわからなかった。でも私たちはすぐに気が合った。彼が私に「アコーデオン」を勧めたとき、うれしかったなんてもんじゃなかった。何ヶ月か経って彼がまた家にやってきた晩、私たちは飲み続けた。シャンパンは美味しかった。音楽もね。私はほろ酔い加減で踊り始めた… 夜が更けて彼は帰って行き、私は眠りに就いた。翌朝、電話が鳴る。彼だった。よく眠れたかときいた。彼は一睡もしていなかった。彼は「ジャヴァネーズ」を書いていた。教訓、踊りましょう。
── ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール誌より
|

![]() |
||
1944年パリ解放後、芝居の勉強を続けていたグレコは、実存主義を唱えてサンジェルマン・デ・プレに集まるサルトル一派にかわいがられていた。あまりに美少女だったため、戦後のパリを撮影に来たアメリカの写真誌「ライフ」に4ページにわたって紹介され、世界中にその名を知られるようになる。そんなとき、グレコを可愛がっていたサルトルのすすめで歌手としてデビュー、知らなかった才能が開花していく。詩人たちはこぞってグレコに歌を書き、サンジェルマン・デ・プレのミューズ(詩の女神)と呼ばれるようになる。エディットピアフ賞、ACCディスク大賞などを受賞して歌手としての名声を築いていく。 1949年コクトーの映画「オルフェ」に出演して以来、映画女優としても活躍。フランス映画のみならず、ハリウッドの大プロデューサー、ザナック製作のアメリカ映画にも数多く主演する。 70年代以降は映画から遠ざかり、歌に専念。デビュー以来、「自分の気に入った詩しか歌わない」という姿勢は変わらない。定期的に新作アルバムを発表してはパリで新しいコンサートを行うという第一線の活躍を続け、現在も世界各国で歌っている。2009年は新作アルバム「私は全部おぼえてる」の発表に続き、パリ、シャンゼリゼ劇場で4日間のコンサート。秋11月には20回目の来日公演を行った。現在、今秋発表の新作アルバムに取りかかっている。 |
||
![]() |
![]() |
![]() |
| パヴァロッティと | サガンと | マン・レイによるジュリエット・グレコ グレコ写真集の表紙から。 (ACTES SUD/LEMEAC) |
